協会のあゆみ

この60年間、中部デザイン協会(cda)は、官民一体となって中部圏域のデザイン振興をしてまいりました。
 
協会の創立と歴史

中部デザイン協会は、1950年(昭和25年)12月に、愛知県、名古屋市、名古屋商工会議所、地元産業界のバックアップにより、愛知県工業設計家協会として発足し、事務局を翌年の1951年4月に開所された愛知県工業指導所内においてデザイン振興活動をスタートさせました。

中部デザイン協会が設立された1950年は戦後の混迷した世相が落ち着きを取り戻し、ようやく社会全体に明るさが戻ってきた年でした。当時産業界においては、経済の復興を目指して工業製品の生産に意欲的に取り組み出した時代で、産業の伸展、貿易の拡大が重要な国の課題となっていました。そして産業の伸展と貿易の拡大の一端を担うものとして、デザインの役割が認識された年でした。ちょうど工業デザインの黎明期でもあり、デザイン元年とも言える年でした。愛知県工業設計家協会としてスタートしたこの頃は、デザインという用語が工業設計意匠ということばで語られておりました。そして、その後、経済白書に「もはや戦後ではない」と宣言された1954年に、現在の中部デザイン協会と改称されました。


1959年8月初めての常設展示場が、名鉄百貨店6階に登場



この時代に全国に先駆けて、デザイン団体の草分け的存在として中部デザイン協会を設立し、工業製品のデザイン向上や品質の改善につとめたことは、日本のデザイン史の中でも特筆されるべきことだと言えます。中部デザイン協会は、当時、企業の技術・デザインの指導的役割を果たしていた、愛知県工業指導所に事務局をおいて活動をしていたところが、その後設立されたデザイナー団体と大きく違うところです。中部デザイン協会が設立された2年後の1952年には、日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)が設立され、毎日新聞社による工業デザインのコンペティションも実施されるようになりました。また、その翌年には、デザイン学会や日本流行色協会が設立されるなど、年を追ってデザインを取り巻く環境が整ってきました。