中部デザイン協会 デザインの仕事場におじゃまします

第20回 世界グラフィックデザイン会議開催運営会事務局
事業部長 森本健氏

国際デザインセンター18階の世界グラフィックデザイン会議開催運営会事務局に事業部長として県庁から出向されています森本健さんを訪ねてお話を伺いました。

インタビュアー:世界グラフィックデザイン会議は大成功でしたね。

森本さん:お蔭様で名古屋で開催したグラフィックデザイン会議は予想を超える3,700名以上の参加者を得て成功裡に終了いたしました。現在は、会計処理並びに報告書作成など残務整理に忙しい毎日です。

インタビュアー:森本さんとデザインの出会い、そしてどうして県庁に入られたか聞かせてください。

森本さん:特に印象的なデザインとの出会いといえば、亀倉雄策の東京オリンピック(1964年)のポスターですね。高校(名古屋市立工芸高校)の時から産業美術科でデザインを勉強していましたからデザインすることが好きだったのでしょうね。
大学は愛知教育大学教育学部美術科でしたが、先生になる気はなく民間企業に就職するつもりでいたのですが、たまたま愛知県がデザイン職員の採用募集をしていることをを知り、運よく試験に合格したため県の職員となりました。
私が県に入庁した昭和44年は、日本が高度成長経済の時代に入った頃で、デザインも社会の各般でその重要性が認識され、新しい方向展開をみせた頃です。
もともと国や県のデザイン部門は、貿易部門の中ににあって輸出製品の模倣防止等の意匠保護を目的に設置されたことから始まっていますが、昭和40年代に入り本格的なデザイン行政がスタートしました。輸出製品のデザイン指導の中心でしたがこの頃からデザイナーの育成、企業や市民のデザインマインドの醸成など幅広いデザイン振興施策が展開されるようになりました。入庁してから徐々にデザイン行政に携わることの意義を認識しました。

インタビュアー:県庁に入られた頃はどんな活動をされていたのですか。

森本さん:産業貿易館に配属されデザイン室長をされていた若園晃(故人)さんにデザイン行政の指導を受けました。産業貿易館西館の建設を契機に愛知県独自のデザインの新しいデザイン施策を打ち出そうということで、西館にデザイン活動の拠点となるデザインセンターを作ることが私の大きな仕事となりました。昭和48年6月に県デザインセンターを設置してからは、それまで以上に行政の中でのデザインの位置付けを明確にするとともに、中小企業のデザイン指導、デザイン展覧会、デザイン講習会・講演会の開催、Gマーク商品の振興、各種デザイン団体の育成・支援などさまざまなデザイン施策を進めていきました。

インタビュアー:当時、私も県デザインセンター主催の講習会、講演会に参加して大変お世話になりました。その後、デザイン博がありましたね。行政、企業、デザイン団体を動かし、この大イベント実現に活躍されたと聞いていますが・・。

森本さん:名古屋市の100周年記念事業の一環として、1985年5月に世界インダストリアルデザイン会議(ICSID)の名古屋誘致が持ち上がったのを機会に、私の仕事も大きく変わりました。世界インダストリアルデザイン会議(ICSID)の誘致成功により、名古屋市制100周年記念の中核事業として世界デザイン博覧会を開催してはという意見がデザイン団体のリーダーから出てきたのを受けて、これをサポートいたしました。その頃は行政も一般の方もデザインに対する理解度は高いとはいえませんでした。従がって、まずこの地域のデザインのリーダーや有識者、科学者により21世紀デザイン研究会を発足させることをサポートし、デザインの提言を行なう事としました。このデザインの提言がマスコミを動かしデザイン博開催の機運が高まりました。また世界デザイン会議(ICSID89)のプレイベントとして国際パブリックデザインフェア88を開催したことも一般市民のデザインに対する理解と認識を高める上で効果がありました。たとえば都市生活のあらゆるところにデザインが必要不可欠な要素であることも、バス停、やゴミ箱、電話ボックス、ベンチ、サイン、標識などデザインにより変わっていく様を見て市民に理解されたものと思われます。デザイン博の開催を契機として名古屋市の都市景観が飛躍的に良くなりました。

インタビュアー:確かに電線を地下に埋め、おしゃれな街路灯や彫刻がおかれてすっきりした街になって、デザイン博の効果は大きいですね。

森本さん:デザイン博の効果は、それだけでは有りません。デザイン博の年、1989年6月に名古屋市はデザイン都市宣言し、現在まで継続してデザイン事業を展開しています。
市制100周年記念事業を行なった当時の全国38都市の中でこれほど有形無形の相乗効果を出した都市はないでしょう。

インタビュアー:中部デザイン団体協議会(CCDO)が出来たのもこの時ですね。

森本さん:そうです。デザイン10団体がひとつにまとまって中部デザイン団体協議会(CCDO)が設置されデザイン博やデザイン会議をバックアップされました。その後CCDOは17団体になり現在は16団体で構成されていますが、地元行政機関や㈱国際デザインセンターと協力して現在も地域のデザイン振興を推進していることも大きいですね。

インタビュアー:裏方として大事業を動かした森本さんの個人的な効果はどうでしたか。

森本さん:私が動かしているのでなく、あくまでも裏方としてその時、その時自分に与えられた課題に対処しているだけです。個人的な面から言えばデザイン博、デザイン会議にかかわることにより愛知県以外の行政機関(名古屋市や国の機関)やマスコミ、デザイン界など幅広い人脈が出来たことは大きな財産になり、現在大いに役に立っています。またデザイン博の立ち上げ段階で予算化の仕事を通し、県議会まわりなど県行政進め方を学んだのも大変勉強になりました。デザイン博だけでなくその後も大きなデザインイベントにめぐり合えたのは幸運でした。

インタビュアー:刈谷の工業技術センター(現産業技術研究所)で具体的なデザイン研究をされ発表されたのを覚えています。

森本さん:平成8年から6年間、工業技術センターで福祉用具の開発に携わりました。特に高齢者向けの家具開発は、主任研究員として調査、デザイン、試作、製品化にいたるまで携われとてもやりがいのある仕事でした。福祉用具の開発成果は、テレビや新聞で発表されると多方面から問い合わせがあり話題にもなりました。これ以外にも応用技術部長としてダンボールのリサイクルシステム研究や木材の圧縮技術開発等木質素材の活用化研究に関わるとともに、テクノフロンテア事業の立ち上げから事業に携わりました。こうしたさまざまな研究業務を通して、福祉、介護、環境、資源再利用等のビジネス市場についても勉強できました。それまで自分がいた県デザインセンターにおけるデザイン振興業務と違うフィールドの人や、若い研究者との出会いは、私の視野や考え方を広くしてくれたものと思います。

インタビュアー:森本さんは世界グラフィックデザイン会議の準備で忙しい中でもCDAやCCDOの企画展に参加されて作品を出品されていますがどうして作品つくりをしているのですか。

森本さん:若い頃は日宣美や毎日デザインコンペに応募していました。現在はデザイナーとのお付き合いの中で作品作りしています。デザイナーは絶えず作品つくりをしてないと単なる評論家になってしまい自分のデザインの作品がだんだん作れなくなります。これからもデザインや作品つくりにはかかわっていきたいと思っています。

インタビュアー:将来新しいことに挑戦したいこと、夢はお持ちですか。

森本さん:新しいことを始めるというのではなく、今まで通り私のもっているデザインのネットワークをいかしながらやっていきたいと思っています。そして県庁を退職したあともデザインに関わっていきたいと思っています。

インタビュアー:最後に若いデザイナーに一言

森本さん:若いデザイナーの方はいろいろなデザイン企画やデザイン活動に傍観せず、無駄と思っても積極的にその中に関わって欲しいと思います。自分とは違うデザインの価値を見つけることにつながるし、自のフィールドを広げ深めることができます。それにはまず参加することだと思います。

インタビュアー:ありがとうございました。

デザイン博の苦労されたお話を伺っているだけで予定の時間が瞬く間に過ぎてしまい、森本さんのデザインから離れた一面を聞き出せませんでした。
森本さんのお話を伺って感心したことはご自分が前面に立って事業を仕切るのでなく、いつもリーダーを立て地味な裏方でフォローする姿勢を崩さず、しかも結果成功させる実力をお持ちだというところです。
愛知県のデザインそれに中部デザイン協会のために今後ともよろしくお願いします。


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